ふなっしーになりたかった

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生活保護を認める理由は「自分もそうなる可能性があるから」では無い

自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからないはずだ。だからこそ生活保護を受ける人に対して、寛容でなければならない。そういった理屈を訴える人をよく目にする。

本当にそうだろうか。

未来は誰にもわからないが、将来の可能性は平等ではない。既に資産を持っている人が貧しくなる可能性は、資産を持っていない人に比べて低い。孫正義生活保護を受けることになる未来を想像する人はいないだろう。

孫正義程のレベルにならなくとも、「東京に持ち家を持っている」のと「田舎で資産価値ゼロの借地権の実家しか持っていない」のでは大違いだ。ちなみに私は後者だが、相続後、家を取り壊して土地を返さなければならないらしいので大変気が重い。いくらかかるんだろう。

前者のような金銭的強者に「自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからない」は通用しない。可能性としてゼロでは無いのかもしれないが、限りなく低い可能性を持ちだして「あなただって」と言っても理解を得られるわけがない。

また、日本の生活保護受給者が少ない要因に、個々人の信念がある。どれだけ貧しくても施しは受けないという信念を持っている人。他人に迷惑をかけるくらいなら餓死しても構わないという人。そういった人は、どれだけ貧しくなっても生活保護を申請しない。

こういった人達に「自分もいつ生活保護を受ける側に回ることになるかわからない」という理屈は意味を持たない。「自分も」というのは、「あなたにも利があるから」という説得方法だが、相手がそれに利を感じていないなら意味が無い

違いを認めるべきなのではないか。

私は、生活保護を身近なこととは捉えていない。この先、生活保護受給者には多分ならない。幸運にも、たまたまそういう境遇にいる。

生活保護を必要とする人達は、なんらかの理由でそういった境遇にいられなかった人達だ。やむを得ない事情の人もいれば、自己責任の人もいるだろう。

理由はどうあれ、彼らはお金を稼ぐことが苦手な人達だ。

彼らは、たまたまお金を稼ぐのが苦手だった。私は彼らに比べて、たまたまお金を稼ぐのが得意だった。ただそれだけのことだ。無理に同じ立場を想定する必要は無い。

今の世の中は、お金が無ければ生きていくことは難しい。生活保護を認めないのであれば、お金を稼ぐのが苦手な人は生きていくのが難しくなる。ある特定条件における弱者が、生存権を脅かされることになる。

私は多分、この先も生活保護を受けることは無い。だが、ある特定条件において弱者になっただけの人にも、出来れば生きていてほしいと思っている。だから、自分には関係ないが生活保護を認めている。

もっと言えば、お金を稼ぐ能力の低い人は生存権すら認められない国になってもらっては困るとも考えている。命すらままならないと知れば、いくら大人しい国民性とは言え、そういった人たちも黙ってはいないだろう。死ぬのと犯罪者になるの2択であれば、犯罪者を選ぶ人の方が多いだろう。

仮に生活保護が無くなったとしても、私はそういった2択には参加しないで済むだろう。

だが、そんな2択には誰も参加しないで済む世の中の方が良いのではないだろうか。