ふなっしーになりたかった

氷河期サバイバーの雑記

ドトールに行けるようになりました

日本のカフェは安いと言われている。

物価が上昇していないこと、他の先進国に比べて賃金が伸びていないことなどが理由と思われるが、とにかく日本のカフェは安いらしい。

私がドトールを初めて利用したのは20台前半。新卒で入社した、1社目の会社に勤めていた頃だ。

当時、私の給与は手取りで18万ちょっと。都心で一人暮らしをしていた私にとって、その金額は生活するのにギリギリの金額だった。お昼代を浮かすために、実家組から離れて一人でおむすびを食べ、夜は主に乾麺のそばに納豆を絡めて食べていた。

乾麺のそばは、3食入って100円前後と、非常にコストパフォーマンスに優れた食材だ。納豆と合わせれば栄養バランスもそれ程悪くない。タンパク質不足が否めないところはあるが、完全栄養食品のたまご(10個180円)を合わせればそれも解決だ。1日500円以下で私は生きていた。

とある日、付き合いもあってドトールに行くことになった。

ドトールのアイスコーヒーは200円ちょっと。子供のお小遣いのような金額ではあるが、当時の私にとっては1日の食費の半分に迫る金額だ。乾麺のそばが2袋、納豆なら3個セットが3つ買える。当時は言えなかったが、私は「こんな無駄金、出来ることなら使いたくない」と考えていた。

実際には、カフェの役割はコーヒーだけではない。座る場所を提供し、喫煙者に対してはタバコを吸う場所も提供する。それはコミュニケーションの場であり、人と人とをつなげる場だ。

私は「水筒にコーヒー入れて来るから、外にしてくれないかな」と本気で思っていたが、そんなことを提案すれば、相手は帰ってしまっただろう。私は「非常にケチな人」か「非常に貧しい人」として認識され、あだ名は「水筒さん」になっていたのではないだろうか。水筒さんだぞ。

私は無理してドトールに入り、アイスコーヒーを飲んだ。本当はカフェラテを飲みたかったが、高かったのでアイスコーヒーを飲んだ。その選択は多分正しかった。

ドトールでの数分には大きな発見があった。私はそれまで「ちょっとしたコミュニケーション」をあまりに軽視し過ぎていた。人付き合いに大切なのは、たまに参加する飲み会などではなく、もっと小さなコミュニケーションの積み重ねなのではないか。

それから、人付き合いに対する考え方を改め、小さなコミュニケーションを大切にするよう心掛けた。小さなコミュニケーションから友人が出来る機会も増えた。

あまりの貧しさに実家に帰ろうか迷っていた時期もあったが、帰りたくない理由が出来た。人付き合いを続けるうちに、それは段々と増えて行った。辛い暮らしの中にも楽しみが増え、仕事もこなせるようになっていった。

人付き合いには多少のお金がかかったが、得るものは多く、稼げるお金もそれ以上に増えて行った。いつの間にか生活に困らないだけのお金が稼げるようにもなっていた。

私は今、ドトールで遠慮なくカフェラテを頼むことが出来るようになった。

サイドメニューもサイズ変更も思いのままだ。カフェラテLサイズを頼むことにもはや何の躊躇もない。ミラノサンドを頼むときに、財布の中を確認したりもしない。なんならそのままサンマルクカフェに移動してチョコクロを食べたって良い。

あの時ドトールに入らなかったら、私の人生はどうなっていたのだろうか。小さなことではあるが、人生の分岐点だったように思えて仕方がない。あそこで水筒さんになっていたら、私はいまだにドトールに入れず、水筒を持ち歩いていたのではないか。

私が今ドトールに気軽に入れるのは、きっとあの時無理してドトールに入ったおかげだ。今度お礼を兼ねて、またミラノサンドを食べに行こうと思う。