ふなっしーになりたかった

氷河期サバイバーの雑記

ITエンジニアはコストでしかないからクビ!→会社が苦境に、みたいなのは実際にあります

togetter.com

最終的に求人の宣伝になっているので、「ちょっと盛ったかな」という感じはあるものの、似たような経験をしている私からすると割とある話だと感じました。

ただ、ブクマでは「嘘松」「理系ポルノ」「御伽噺」など、間違いなく嘘と断定するコメントが人気を集めており、全く同じような経験をした私からするとモヤモヤするものがあったので、こういった事象が実際に起こる理由、仕組みについて勝手に解説します。

※以下「ITエンジニア」は「エンジニア」に統一

社長は誰でもなれる

まず、こういった「エンジニアはコストでしかないから全員首!」みたいなことが起きるのは、大抵中小企業です。では、その決断を下す中小企業の社長というのはどういう人間か。

いくつかのパターンに分かれると思いますが、中小企業の社長に多いのは「社長が創業者」であるパターンです。創業者は、前職で営業やコンサルの経験を積んで、十分なコネを作ってから独立したという人が多く、そういった経緯で作られる無名の中小企業の多くは「簡単なサービスを付き合いのある会社に提供」することで利益を上げています。

ということで「コネもあるし、適当に人雇ってホームページとか作るだけでもいくらかにはなるだろ」くらいの感覚で起業する人が意外に沢山います。

そういった社長は、経営能力を評価されて社長になったわけでもなく、自分の販売しているサービスを作るための手間もよく分かっていないため、作り手を全員コストととらえてクビにしてしまうようなトンデモ判断を下してしまうようなことがあります。

システムが完成すると、素人目にはエンジニアが無価値に見えるようになることがある

私自身もITエンジニアの端くれですが、自分の有用さをアピールするのに苦心することが少なからずあります。

例えば、社内SEとして働いていた際、とある部署の数名が作業していた内容を、システム化して半自動化したことがあります。1セット4時間程度の作業が1時間程度になり、手作業の工程を減らすことで人為的ミスも減り、導入直後は大絶賛されていました。彼らは繁忙期になると、残業・徹夜で地獄のような生活を送っていたため、システム化で寝られるようになり、その時は大変感謝されました。

しかし、当たり前になってしまうと、人はそのことに感謝をしなくなる生き物です。導入からわずか1ヶ月で、「俺たちは忙しいのに、エンジニアの人は暇そうで良いすね」みたいなことを言われるようになりました。

システムには保守が必要になります。エンジニアは、フロー変更の準備でパッチを作成したり、更なる効率化のために追加機能の開発を行ったりしていたのですが、出来上がったものを当たり前に使っている人からは、「何も生み出していない」という目で見られるようになっていました。

もちろん、それに対して色々と説明を試みたりもしますが、「わからないことは聞きたくない」「理解しても俺の気分が晴れるわけではない」という態度を取る人は少なくないため、優秀な人が集まりにくい中小企業では、こういった空気が正当化されてしまうことが普通にあります。

そして、そういった空気が正当化されると「エンジニアはさぼってるだけでコストにしかならない」といった意見を言い始める人が現れ、その意見を経営者が好ましいと考えると、コストカットと称して、自主退職に追い込まれる人が出るようになるのです。

エンジニアは売上の責任を取らされることもある

エンジニアはサービス開発を担当することもありますが、そのサービスの内容自体は別の場所で決まることが多いです。「ブログサービス作って」のように、作るものが決まってから依頼が来るということです。

「ブログサービスはもう流行らないだろうから、動画投稿サービス作ろうぜ」みたいな、根底からひっくり返すことが可能な環境が無いとは言いません。ですが、普通は依頼された内容の細部に工夫を入れるくらいで、基本的には依頼された内容通りに作ることになります。

当然、そのサービスが流行ったり、売れたりした場合は、企画者が称賛を集めることになります。サービス開発には「企画に最も大きな価値がある」という考え方があるためです。実際その通りだと思います。しかし、そのサービスが流行らなかったり、売れなかったりした場合、おかしなことになる場合があります。

「企画は良かったのに、出来上がったものが良くなかった」「誰だこんな売れないサービス作ったのは」

企画者は上層部との接触機会が多くなりますが、エンジニアは企画者との接触はあるものの、上層部との接触が皆無だったりもします。企画者が保身のためにエンジニアをスケープゴートに仕立て上げれば、企画者は被害者に、エンジニアは加害者になります。そんなことがまかり通る会社は辞めて正解なのですが、社内政治において、エンジニアは弱い立場に追い込まれるケースが割と多く、なぜか売上の最終責任を取らされるケースがあります。

エンジニアをクビにした会社は困ることになる

上述したような理由で、エンジニアが自主退職に追い込まれたり、クビになったりするケースは少なからずあります。もちろん、それはエンジニアに限らず別の職種でもあることですが、エンジニアの退職には特殊な事情があります。

それは、エンジニアの仕事内容が、エンジニア以外にはよくわからないということです。「営業が辞める=顧客を持っていかれたら困る」というのは誰にでも予想が付きますが、エンジニアが辞めることで何が起こるのかは、エンジニア以外には想像しにくい部分があります。特に、エンジニアをクビにしようと考えるような経営者であれば、エンジニアの仕事は全く理解できていない可能性が高いです。

以前、社内SEとして雇用され、依頼されるままに社内システム開発を行っていたところ、突然現れた社長(普段会社に来ない)から、「お前らは全く売り上げを上げていない!エンジニアならGREEみたいにスマホアプリを作って大儲けさせろ!」とよくわからない罵倒を受け、「企画も無いのに大儲け出来るアプリ作れるなら個人でやるわ」と反論をしたところ、「エンジニアは高いだけで金を生まない!全員辞めろ!」と情シス一同恫喝されたため、「じゃ辞めるわ」と、即退職したことがあります。

それから約1年後、その会社から「以前弊社に勤めていた時のサーバ環境情報を知りませんか?」「〇〇(サービス名)が動かないのですが」といった連絡が届いたことがあります。当然無視しましたが、社内の基幹システムのサーバ情報がどこにあるかわからない、そして動いていないということなので、大変困ったことになったのでしょう。ウケる。

ということで、エンジニアを退職に追い込んだり、クビにすると大変な苦労をすることになる可能性は大いにあります。

ただ、エンジニアだけが簡単に辞めたり、辞めた後に苦労することになるわけではなく、他の職種でも別の面で似たような事情はあるので(営業は引き抜かれやすいとか、独立しやすいとか)、「エンジニアは!」と声高に言うのもどうかとは思った次第です。

「年齢相応」の考えがある限り、氷河期世代が報われることはもう無い

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言っていることには同意できる部分も多いのですが、若いからか「もう氷河期世代には逆転のチャンスがほとんどない」という問題について、あまり理解が無いようにも見えました。

氷河期世代とは、1993年から2005年に就職した人たちを指す言葉です。

新卒での就職タイミングが人それぞれ異なるため、現在35~45歳前後の人が当てはまります。留年や浪人を考えれば、50歳でも就職氷河期に含まれる人もいるかもしれません。もう十分に「大人」であり「経験豊富」な年齢の人たちです。

日本では「年齢相応」という考え方が根強いです。「20歳を超えたらこれくらいの分別は~」「30歳にもなって常識が~」など、年齢と合わせて苦言を受けた経験のある人も多いでしょう。「いい年して」もその一種。外国のことはよく知りませんが、少なくとも日本では「年齢に応じて、能力の向上や精神的な強さを身に着けるのが当たり前」という考えが一般化されています。

これは就職現場にも当てはまります。

日本企業では「〇〇歳なら、このくらいの経験が欲しい」といった見方で、候補者を見ることが多いです。例えば、私のいるIT業界なら「20代後半までなら、3年以上の開発経験があればOK」とか、「30代ならチームリーダー経験が欲しい」とか「40代ならプロマネ経験が欲しい」とかになります。もちろん、これは企業ごとに考え方も求める人材も異なるため、一律ではありません。ただ、年齢が上がれば上がるほど、自己学習ではどうにもならない経験を求められるようになる傾向が強いです。

人によっては、これは当たり前のことに見えるかもしれません。高校や大学を卒業し、新卒で企業に就職し、数年働いて部下を持ち、リーダーとして経験を積み、より大きなプロジェクトに所属するようになり、プロジェクトを率いるマネージャーになる。ごくごく自然な日本企業的成長ストーリーと言えるでしょう。しかし、これが当たり前でない人が今は沢山います。

1986年に施行された労働者派遣法により、限定的ですが、派遣社員が登場しました。1996年に対象業務が拡大され、1999年には対象業務が原則自由化されました。さらに、2000年には紹介予定派遣が解禁され、その後も派遣期間の延長や、派遣可能業務の拡大が続いていきました。

好景気であれば、派遣社員もそんなに悪いものではなかったのかもしれません。会社に縛られずに働きたい人が、自ら選択する就業形態として選ぶというケースも実際多かったようです。しかし、1991年のバブル崩壊以降、日本は失われた20年と呼ばれる、長期間の景気低迷に陥ってしまいました。

氷河期世代と呼ばれる1993~2005年に就職した人たちは、その被害をまともに受けてしまいました。バブル崩壊で業績が悪化した企業が、人件費抑制のために派遣社員を利用し、行政もそれを後押しするように次々に派遣の規制を緩めていきました。結果、今では労働者の37.3%を非正規が占めるようになりました。

非正規労働者の厳しい点は、給与の低さや福利厚生の貧弱さもありますが、それ以上に成長機会が少ない点にあります。ある程度の期間働いたことがある人なら知っていると思いますが、非正規労働者に回ってくる仕事というのは、ルーチンワークと雑務が主になります。例外的に、社員ができない仕事を押し付けられるというケースもありますが、かなりのレアケースで、責任を押し付けるためのスケープゴートであったりもします。

そして、さらに厳しいのは経験した職務内容に関わらず、就業形態が非正規雇用というだけで、社会的評価が低くなるという点です。

一般的に、人事が職務経歴書を見る場合、非正規雇用での経験はおまけ程度の扱いとしてしか見ません。コネ入社の正社員(役職者)で仕事はほとんどせずに寝ているだけの人と、非正規雇用で実質的な現場責任者を比べた場合、書類上の評価が高いのは圧倒的に前者です。

ということで、すでに40歳前後の年齢となり「年齢相応」で求められる経験がかなり高度なものとなっており、且つ就職難で非正規雇用を選ばざるを得なかった人は、雇われという立場で報われるのはかなり厳しい状況にあります。かと言って、低収入で蓄えを作るのが難しく、コネも作りにくいのが非正規雇用という立場です。起業して上手くいく可能性も低いでしょう。

普通、こういった記事では、最後に救済案や「こうすれば上手く行く」みたいな話を書くのがセオリーなのですが、残念ながら、私にはそのアイデアはありません。強いて言えば「若い人が敬遠する仕事であれば、需要はある」くらいです。

「年齢相応」の考えは雇う側だけでなく、雇われる側にもあります。雇われる側が「年齢相応」の待遇を望まず、新卒レベルの待遇を受け入れるのであれば、人によってはチャンスもあるのかもしれません。あまり夢のある話では無いですが。

会社を選ぶ際は、役員の前職に注目すべし

転職の際、「出来るだけ自分にあった会社を選びたい」と思うのは当然のことです。

求職者は、業務内容、組織体制、社風、その会社が扱っているサービスの内容、規模など、様々な要素を見て、自分にあった会社を探しています。しかし、求人広告におけるこれらの内容は、規模を除いてあまりあてになりません。

業務内容が入社後に変化するのは当たり前です。社風なんていくらでも嘘が書けます。サービスの内容はパッと見が良さそうなものだけを掲載しておき、入社後に担当することになるサービスは全然別物というのもよくある話です。

とはいえ、何の情報もなしに会社を選ぶのは難しいです。誰でも知ってる有名企業ならともかく、中小企業が何をやっているかなんて誰も知らないのが普通です。そこで、私がいつも参考にしている、会社の雰囲気をつかむのに役に立つ情報をお伝えします。

それは、経営者(役員)の経歴です。

会社には必ず経営者がいます。会社は、本質的には経営者の夢をかなえるための場所です。ルールも、重視するものも、全て経営者が決めます。「従業員がルールを作る」みたいな会社もありますがが、経営者の意思に反するルールは作れません。

つまり、社風には必ず経営者の思想が反映されます。そんな経営者が、「今まで何をやっていた人なのか」を見れば、その人の考え方がある程度見えてきます。

人の考え方は今までの経験に大きく左右されます。

営業経験の長い人であれば、重視するのはもちろん売上。売上を重視しない経営者はあまりいませんが、商品開発などの経験が長い経営者は、売上よりも会社の技術力や製品の品質を優先する傾向があります。コンサル出身では、人を説き伏せるような能力を重視する人に多く出会っています。

全て最終的には売上、利益といったかたちに集約されますが、そのために何が必要と考えるのかは、人それぞれということです。何でも無理矢理売ればいいと思ってる人もいれば、良いものを作れば売れると思っている人もいます。実際にはそこまで単純なわけではありませんが、考え方の根底を支えるものは存在します。

人それぞれではありますが、人は自分の過去を肯定し、美化する傾向があります。そして、経営者になるような人の多くは、過去になんらかの成功体験を持っていることが多いです。その成功体験が、自身の経営哲学に繋がるのは当たり前です。

では、それをどうやって利用すればよいのでしょうか。

大雑把に言えば、自分と似たような職種を経験してきた経営者が運営する会社であれば、自分の職種が重要視される可能性は高いと言えます。現場をよく知っているだけに、自分の望む社風を伴っている可能性も高いでしょう。

しかし、その分だけ厳しい目で見られる可能性も高くなります。他職種より難易度の高いことを要求され、出来なければ「使えない」と思われるでしょう。

もっと細かい話もありますが、それは別の機会に。

私自身転職を多く経験しているため、様々な経歴を持つ経営者の元で働いて来ましたが、驚くほど経営者は前職の経験を引きずっています。

自分の職種に詳しい経営者の元で働けば、重要視されますが、要求は厳しくなります。逆に、自分の職種のことを全く知らない経営者の元で働けば、適当な扱いを受ける代わりに、仕事が出来なくてもバレなかったりします。制度は重要視される職種を中心に作られます。

自分の今のレベルに合わせて、経営者の経歴を見ながら応募してみてください。予想以上の成果、気づきが得られるはずです。

なお、複数の役員を抱える会社で、自分と同職種出身の役員がいない会社は避けた方が無難です。その職種では「出世出来ない=扱いが悪い」ケースが少なくないからです。

残業時間で成果を測る裁量労働制の会社に所属していました

この辺の記事がちょっと気になったので書きました。 裁量労働制は、時間からの解放を意味しないという実例です。

bonotake.hatenablog.com news.tbs.co.jp

10年以上前のこと。

私が新卒で入社した会社は、入社初日から、全社員が裁量労働制で働く契約になっていた。

当時は、裁量労働制について、政府や経団連が言っているような「時間にとらわれない自由な働き方」というイメージが少なからずあったため、私自身もそれを望んでいた。 「就業経験が全くない新人に裁量?」と疑問も浮かんだが、「すぐに裁量を手に入れ、大きな成果を上げ、高い報酬を受け取れるだろう」という謎の自信がその疑問を打ち消した。

入社後、新人は4人1組のチームに分けられ、電話番をしながら独学でプログラムを学ぶという業務が与えられた。 「電話は必ず1コールで取る」との指示があり、それを達成するために、席を立つ際は必ず報告する義務があった。 9時から朝礼、電話番のため19時までは着席必須、トイレに行くのにも許可がいるという環境で、裁量は全くなかった。

数か月後、電話番の仕事がようやく終わり、プロジェクトに配属されることになった。 プロジェクトの内容は、商品のベースとなるシステムの改修。4人1組で半年~1年かけてシステムを改修するという業務だった。

「ようやくプログラムが書ける」と最初はチームメンバー全員で喜んでいたが、開始して約3か月が経過した時点で異変が起きた。 あるメンバーだけ、全く進捗が無くなってしまったのだ。

最初は適性の問題を疑った。元々遅れが目立つメンバーでもあったため、タスクの難易度が上がって来たことで、彼だけ停滞してしまっているのかと思っていた。 私は彼と仲が良かったため、「わからない所があったら相談して」と毎日のように言っていたが、彼は「ありがとう」というだけで、全く相談をしてこなかった。

それから数日後、一緒に昼食を食べている時、彼から衝撃の告白を受けた。

「俺、全く仕事してないけど、毎日24時過ぎまで残ってるんだ」 「ネットサーフィンで何とか時間つぶしてるけど、20時過ぎたら監視が緩くなるからトイレでゲームとかやってる」 「真面目に仕事やっても意味ないからサボった方が良いよ、先輩から査定のルール聞いたんだけど、残業時間が長い人が評価される仕組みなんだってさ」

何を馬鹿なことを、と思いながらも、思い当たるふしはあった。 彼の進捗があまりに遅いため、上司に相談した際「あいつは遅くまで毎日頑張ってるから許してやれ、あいつを見習ってお前ももっと仕事したらどうだ」と言われたことがあったからだ。

成果主義を強くうたう会社であり、裁量労働制も「成果以外見ないからこその制度」と断言する会社でそんなことがあるだろうか? 疑問は感じたが、「真面目に仕事をすれば、結果は返ってくる」と信じ、サボる彼を置いてタスクをこなすことに集中することにした。

それから約半年が過ぎ、私は新人賞を取った。 新人賞とは、毎年20名前後入る新人の中で、2,3名が投票によって選ばれる賞のことだ。 「自分は正当に評価されている、これなら大丈夫」と少し安心したことを覚えている。

しかし、入社から1年が経過した時点で、私が間違っていたことを理解した。 サボっていた彼の昇給、賞与額は、私を上回っていた。 私に明細を見せながら、彼は「な、本当だったろ」と得意げに言っていた。

彼は1年間、本当に何もしなかった。他のメンバーが100件以上のタスクをこなす中、彼がこなしたタスクは10件にも満たなかった。だが、彼は評価されていた。

私は、社内に2人、尊敬している先輩がいた。上司は信用ならないが、先輩ならきっと答えてくれるはず。そう考え、先輩にこのことを打ち明けてみた。 先輩の答えは、想像を絶するものだった。

「これ、本当は教えちゃいけないんだけど教えるよ」 「この会社では、残業時間×基本給×係数っていう形で、賞与の額を計算してる」 「これは残業代を最低賃金で支払うより遥かに低い額になるんだけど、残業代の変わりが賞与って考えでこうしてるらしい」 「昇給も当然、評価=残業時間なので、そこから計算してる。でも俺はお前のことを上司に推してたから、もっと昇給してると思ってた」 「裁量労働制って言っても、この会社は残業時間が長い人が評価されるようになってる。長く残業すること自体が成果」 「俺も抗議したことあるけど、成果は会社が決めるものだから、全く問題無いって言われた」

話し終えた後、先輩は繰り返し謝っていた。

私はそれから転職活動を始め、約1年後、入社から2年程度経過した時点でその会社を退職した。 その時、20人近く入社していた新人は、3人くらいしか残っていなかったと記憶している。 鬱病を発症した人も、いつからか会社に来なくなった人も数名いた。

これは、裁量労働制を利用する1つの企業の事例でしかない。 しかし、裁量労働制であっても「労働時間を成果とする」ことが可能なことを示している。

ここまで極端な会社は少ないかもしれないが、「遅くまで残ってる=頑張ってる」という感覚評価が当たり前になっている会社は少なくないだろう。

結局のところ、裁量労働制という制度そのものは、自由な働き方を保証しない運用によっては、自由な働き方を実現できる人もいるかもしれない、という程度のものでしかない。

余談だが、あれから10年以上経過し、私も部下の勤怠に対する裁量権をある程度持つようになった。 弊社は裁量労働制は採用していないが、管理対象となる社員の労働時間を8時間換算にして早めに帰らせたり、忙しい案件を終えた際には有給とは別に特別休暇を発行することが認められている。 労働者にとって有利になる処置であれば、運用上取り入れることは可能と社労士からもお墨付きをもらっている。

裁量労働制を導入しなければ自由な働き方を実現できないと思っている経営者の方は、是非、検討してみてはいかがだろうか。

超売り手市場なのだから、クソ会社に思い知らせるためにも転職して欲しい

anond.hatelabo.jp www.orangeitems.com

色々ブコメしたので自分なりの意見。

「クソ会社にいる自覚がある人は、今すぐ転職した方が良い」

それに尽きる。

SESで有る無しに関わらず、待遇が良いところは良いし悪いところは悪い。だが、近年IT業界の待遇は急激に改善されている。

十数年間、会社を転々としながらシステムエンジニアをやってきたが、今の人手不足っぷりは、私の知る限り過去に例の無いレベルになっている。

ここ数年は採用にも関わっており、リクルート、インテリジェンス、キャリアデザインセンター、エンジャパン、他にも複数の人材紹介系会社とやりとりを行なっているが、どの会社も一様に「今は本当に採用が難しくなっている」と言う。他職種でも同様の傾向はあるが、システムエンジニアは特に難しいそうだ。

それに伴って、待遇の改善合戦が広がっている。バブル期の待遇の良さと言えば、圧倒的な福利厚生や給与だが、今は少し事情が異なる。

今は「ある程度は給与も上げる(上げないと採用出来ない)」と「残業時間の短縮や、フレックスタイム制在宅ワークなどの労働環境の自由化(払えるお金には限りがある)」の掛け合わせが多い。バブル期程儲かってるわけではないが、待遇を良くしなければ応募が来ないからだ。それ程の売り手市場になっている。

と言うことで、今正に絶好の転職チャンスが到来している。

求職者側は、基本的に転職を考えたタイミングでしか求人広告を見ないため、気付きにくい面もあるかもしれない。だが、採用側は常に競合他社の求人条件を見て(見せられて)いるため、プレッシャーを感じ、都度採用条件を改善している。こんな絶好の転職チャンスに、不満だらけのクソ会社に居続ける理由は無い。

将来の戦力候補に対する採用競争も激しいため、最低限の技術力(1つ以上のプロジェクト参加経験、2年以上のプログラミング経験)を備えた人であれば、まともに転職活動すれば必ず今よりマシな会社でマシな待遇を受けることが出来る。もちろん、最低限の技術力が無い人はその限りでは無い(そういった人はエンジニア志望であって、エンジニアでは無いため)。

※尚、この状況においても氷河期世代(超ハイスペック除く)は対象外とされている。酷い。

クソ会社から転職する人が増えれば、人材が待遇の良い会社に集まり、人手の無くなったクソ会社が苦境に立たされるようになる。昔は机上の空論だったが、今はそうでは無い。良い待遇の会社がかなり増えている。

ネット上で声を上げるのも大事だが、もっと直接的な打撃を与え、且つ自分も救われる道が今はある。だが、そんな状況は、この売り手市場以外ではありえない。

もし、クソ会社に搾取や飼い殺しにされている人がいたら、是非、この機会を生かして、自分の状況を変えつつ、悪質な会社に打撃を与えて欲しい。

それは、恨みつらみを溜め込んだ自身への救済策であり、社会悪への正義でもある。

生活保護を認める理由は「自分もそうなる可能性があるから」では無い

自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからないはずだ。だからこそ生活保護を受ける人に対して、寛容でなければならない。そういった理屈を訴える人をよく目にする。

本当にそうだろうか。

未来は誰にもわからないが、将来の可能性は平等ではない。既に資産を持っている人が貧しくなる可能性は、資産を持っていない人に比べて低い。孫正義生活保護を受けることになる未来を想像する人はいないだろう。

孫正義程のレベルにならなくとも、「東京に持ち家を持っている」のと「田舎で資産価値ゼロの借地権の実家しか持っていない」のでは大違いだ。ちなみに私は後者だが、相続後、家を取り壊して土地を返さなければならないらしいので大変気が重い。いくらかかるんだろう。

前者のような金銭的強者に「自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからない」は通用しない。可能性としてゼロでは無いのかもしれないが、限りなく低い可能性を持ちだして「あなただって」と言っても理解を得られるわけがない。

また、日本の生活保護受給者が少ない要因に、個々人の信念がある。どれだけ貧しくても施しは受けないという信念を持っている人。他人に迷惑をかけるくらいなら餓死しても構わないという人。そういった人は、どれだけ貧しくなっても生活保護を申請しない。

こういった人達に「自分もいつ生活保護を受ける側に回ることになるかわからない」という理屈は意味を持たない。「自分も」というのは、「あなたにも利があるから」という説得方法だが、相手がそれに利を感じていないなら意味が無い

違いを認めるべきなのではないか。

私は、生活保護を身近なこととは捉えていない。この先、生活保護受給者には多分ならない。幸運にも、たまたまそういう境遇にいる。

生活保護を必要とする人達は、なんらかの理由でそういった境遇にいられなかった人達だ。やむを得ない事情の人もいれば、自己責任の人もいるだろう。

理由はどうあれ、彼らはお金を稼ぐことが苦手な人達だ。

彼らは、たまたまお金を稼ぐのが苦手だった。私は彼らに比べて、たまたまお金を稼ぐのが得意だった。ただそれだけのことだ。無理に同じ立場を想定する必要は無い。

今の世の中は、お金が無ければ生きていくことは難しい。生活保護を認めないのであれば、お金を稼ぐのが苦手な人は生きていくのが難しくなる。ある特定条件における弱者が、生存権を脅かされることになる。

私は多分、この先も生活保護を受けることは無い。だが、ある特定条件において弱者になっただけの人にも、出来れば生きていてほしいと思っている。だから、自分には関係ないが生活保護を認めている。

もっと言えば、お金を稼ぐ能力の低い人は生存権すら認められない国になってもらっては困るとも考えている。命すらままならないと知れば、いくら大人しい国民性とは言え、そういった人たちも黙ってはいないだろう。死ぬのと犯罪者になるの2択であれば、犯罪者を選ぶ人の方が多いだろう。

仮に生活保護が無くなったとしても、私はそういった2択には参加しないで済むだろう。

だが、そんな2択には誰も参加しないで済む世の中の方が良いのではないだろうか。

都会と田舎の賃金格差は不当なのだろうか

私は田舎出身だ。

夜になれば街灯の少ない道は足元も見えなくなり、夏~秋は虫の鳴き声が激しすぎて耳が痛くなる。友人の家に行くのにバスを利用するのは普通のことで、最終バスは17時台だ。そんな田舎で、私は生まれ育った。

中学生まではその生活で何の問題もなかったが、高校生になると多少はお金が必要になってきた。服を買うでもない、娯楽施設に出かけるわけでもない。しかし、通学時間が延び、部活に顔を出す必要も生じたため、結果、帰宅が遅くなり、買い食いなどの機会が増えた。

そこでアルバイトを始めた。私のアルバイト経験は、今世間で言われているような「田舎は大変」とは程遠いものだった。

田舎の仕事事情は、表では「仕事が無い」「低賃金」という側面にフォーカスされがちだ。それはその通り、事実と言える。しかし、田舎の仕事事情は、そんな負の側面だけで構成されているわけではない。

仕事が楽なのだ。

当たり前だが、「仕事が無い」と言われるくらいなので、仕事がある場所であっても仕事の総量は少ない。大都市圏のように、激しい競争を繰り広げて、昼夜を問わず仕事をしている人はほとんどいない。悪い意味だけでなく、良い意味でも仕事が無い。

例えばコンビニの夜勤などは都会とは比較にならない。都会のコンビニは、いつ訪れても数名の客が居るが、田舎のコンビニは本当に客がいない。棚卸し作業などは発生するが、日によっては客が一人も訪れないことすらある。

高校卒業後、コンビニの夜勤で生計を立てていた友人は、いつもレジ横にある控室にいて、客が来た時だけ対応していたという。朝までに5人以上来ることは珍しかったので、非常に楽な仕事だったそうだ。彼はバイト中に十分な睡眠をとり(細切れだが)、朝になるとパチンコ屋に出かけていくのが日常だった。

ここで一つ疑問がある。都会と田舎の賃金格差がたびたび話題になるが、田舎の賃金が低いのは不当なのだろうか。

日本人のサービスに対する意識は過剰だ。地方であっても、都会同様のサービスを求められる。それなのに、賃金だけが安いとなれば不満が出るのは当然だろう。

また、物価も都会と田舎で大差はない。大差があるのは家賃など不動産が絡むものだけだ。競争原理の関係で都会の方が物価が安いことすらある。これで田舎の方が賃金が低いのだから、最低限の生活を営むのすら難しい人が出てくるのは、想像に難くない。

しかし、労働者が提供するサービスの総量は、都会と田舎で雲泥の差がある。1日に100人しか客の来ないコンビニと、1日に2000人の客が来るコンビニ。全く同じ賃金が支払われるとしたら、あなたはどちらで働きたいと思うだろうか。控室で十分に休憩をとりながら働ける環境と、座る間もなく働き続けなければならない環境、どちらを望むだろうか。

客が多いということはたくさんの売上を生むということでもある。たくさんの売上を生んだ人が、そうでない人とほとんど変わらない賃金しか受け取れないのは正当だろうか。

生み出した経済価値と受け取る報酬は比例すべきだ。しかし、生活に必要な予算と、その人が生み出せる経済価値は比例しない。そして、能力に関わらず経済価値を生み出しにくい土地がある。

田舎で十分な生活費を稼ぐのが難しいのは事実だ。しかし、十分な経済価値を生み出せない以上、賃金だけを上げるのが難しいのも当然だ。これは、国や自治体が対応すべき課題で、賃金で対応すべき課題ではないのではないか。

本当に賃金格差は不当なのだろうか。

単純に「田舎でも、生活に困るからもっと賃金が欲しい」という話であれば理解は出来るのだが、都会との賃金差を「不当」と捉えるのは間違っているのではないだろうか。