ふなっしーになりたかった

サラリーマンとしてそこそこ成功することを考えるブログ

会社を選ぶ際は、役員の前職に注目すべし

転職の際、「出来るだけ自分にあった会社を選びたい」と思うのは当然のことだ。

求職者は、業務内容、組織体制、社風、その会社が扱っているサービスの内容、規模など、様々な要素を見て、自分にあった会社を探している。しかし、求人広告におけるこれらの内容は、規模を除いてあまりあてにならないことが多い。

業務内容が入社後に変化するのは当たり前。社風なんていくらでも嘘が書ける。サービスの内容はパッと見が良さそうなものだけを掲載しておき、入社後に担当することになるサービスは全然別物というのもよくある話だ。

とはいえ、何の情報もなしに会社を選ぶのは難しい。誰でも知ってる有名企業ならともかく、中小企業が何をやっているかなんて誰も知らない。そこで、私がいつも参考にしている、会社の雰囲気をつかむのに役に立つ情報をお伝えする。

それは、経営者(役員)の経歴だ。

会社には必ず経営者がいる。会社は、本質的には経営者の夢をかなえるための場所だ。ルールも、重視するものも、全て経営者が決める。「従業員がルールを作る」みたいな会社もあるが、経営者の意思に反するルールは作れない。

つまり、社風には必ず経営者の思想が反映される。そんな経営者が、「今まで何をやっていた人なのか」を見れば、その人の考え方がある程度見えてくる。

人の考え方は今までの経験に大きく左右される。

営業経験の長い人であれば、重視するのはもちろん売上だ。売上を重視しない経営者はあまりいないが、商品開発などの経験が長い経営者は、売上よりも会社の技術力や製品の品質を優先する傾向がある。コンサル出身では、人を説き伏せるような能力を重視する人に多く出会っている。

全て最終的には売上、利益といったかたちに集約されるのだが、そのために何が必要と考えるのかは、人それぞれということだ。何でも無理矢理売ればいいと思ってる人もいれば、良いものを作れば売れると思っている人もいるだろう。実際にはそこまで単純なわけではないが、考え方の根底を支えるものは存在する。

人それぞれではあるが、人は自分の過去を肯定し、美化する傾向がある。経営者になるような人の多くは、過去になんらかの成功体験を持っていることが多い。その成功体験が、自身の経営哲学に繋がるのは当たり前だ。

では、それをどうやって利用するか。

大雑把に言えば、自分と似たような職種を経験してきた経営者が運営する会社であれば、自分の職種が重要視される可能性は高い。現場をよく知っているだけに、自分の望む社風を伴っている可能性も高いだろう。

しかし、その分だけ厳しい目で見られる可能性も高い。他職種より難易度の高いことを要求され、出来なければ「使えない」と思われるだろう。

もっと細かい話もあるが、それは別の機会に。

私自身転職を多く経験しているため、様々な経歴を持つ経営者の元で働いて来たが、驚くほど経営者は前職の経験を引きずっている。

自分の職種に詳しい経営者の元で働けば、重要視はされるが、要求は厳しくなる。逆に、自分の職種のことを全く知らない経営者の元で働けば、適当な扱いを受ける代わりに、仕事が出来なくてもバレなかったりする。制度は重要視される職種を中心に作られる。

自分の今のレベルに合わせて、経営者の経歴を見ながら面接を受けて見て欲しい。予想以上の成果、気づきが得られるはずだ。

なお、複数の役員を抱える会社で、自分と同職種出身の役員がいない会社は避けた方が無難だ。その職種では「出世出来ない=扱いが悪い」ケースが少なくないからだ。

残業時間で成果を測る裁量労働制の会社に所属していました

この辺の記事がちょっと気になったので書きました。 裁量労働制は、時間からの解放を意味しないという実例です。

bonotake.hatenablog.com news.tbs.co.jp

10年以上前のこと。

私が新卒で入社した会社は、入社初日から、全社員が裁量労働制で働く契約になっていた。

当時は、裁量労働制について、政府や経団連が言っているような「時間にとらわれない自由な働き方」というイメージが少なからずあったため、私自身もそれを望んでいた。 「就業経験が全くない新人に裁量?」と疑問も浮かんだが、「すぐに裁量を手に入れ、大きな成果を上げ、高い報酬を受け取れるだろう」という謎の自信がその疑問を打ち消した。

入社後、新人は4人1組のチームに分けられ、電話番をしながら独学でプログラムを学ぶという業務が与えられた。 「電話は必ず1コールで取る」との指示があり、それを達成するために、席を立つ際は必ず報告する義務があった。 9時から朝礼、電話番のため19時までは着席必須、トイレに行くのにも許可がいるという環境で、裁量は全くなかった。

数か月後、電話番の仕事がようやく終わり、プロジェクトに配属されることになった。 プロジェクトの内容は、商品のベースとなるシステムの改修。4人1組で半年~1年かけてシステムを改修するという業務だった。

「ようやくプログラムが書ける」と最初はチームメンバー全員で喜んでいたが、開始して約3か月が経過した時点で異変が起きた。 あるメンバーだけ、全く進捗が無くなってしまったのだ。

最初は適性の問題を疑った。元々遅れが目立つメンバーでもあったため、タスクの難易度が上がって来たことで、彼だけ停滞してしまっているのかと思っていた。 私は彼と仲が良かったため、「わからない所があったら相談して」と毎日のように言っていたが、彼は「ありがとう」というだけで、全く相談をしてこなかった。

それから数日後、一緒に昼食を食べている時、彼から衝撃の告白を受けた。

「俺、全く仕事してないけど、毎日24時過ぎまで残ってるんだ」 「ネットサーフィンで何とか時間つぶしてるけど、20時過ぎたら監視が緩くなるからトイレでゲームとかやってる」 「真面目に仕事やっても意味ないからサボった方が良いよ、先輩から査定のルール聞いたんだけど、残業時間が長い人が評価される仕組みなんだってさ」

何を馬鹿なことを、と思いながらも、思い当たるふしはあった。 彼の進捗があまりに遅いため、上司に相談した際「あいつは遅くまで毎日頑張ってるから許してやれ、あいつを見習ってお前ももっと仕事したらどうだ」と言われたことがあったからだ。

成果主義を強くうたう会社であり、裁量労働制も「成果以外見ないからこその制度」と断言する会社でそんなことがあるだろうか? 疑問は感じたが、「真面目に仕事をすれば、結果は返ってくる」と信じ、サボる彼を置いてタスクをこなすことに集中することにした。

それから約半年が過ぎ、私は新人賞を取った。 新人賞とは、毎年20名前後入る新人の中で、2,3名が投票によって選ばれる賞のことだ。 「自分は正当に評価されている、これなら大丈夫」と少し安心したことを覚えている。

しかし、入社から1年が経過した時点で、私が間違っていたことを理解した。 サボっていた彼の昇給、賞与額は、私を上回っていた。 私に明細を見せながら、彼は「な、本当だったろ」と得意げに言っていた。

彼は1年間、本当に何もしなかった。他のメンバーが100件以上のタスクをこなす中、彼がこなしたタスクは10件にも満たなかった。だが、彼は評価されていた。

私は、社内に2人、尊敬している先輩がいた。上司は信用ならないが、先輩ならきっと答えてくれるはず。そう考え、先輩にこのことを打ち明けてみた。 先輩の答えは、想像を絶するものだった。

「これ、本当は教えちゃいけないんだけど教えるよ」 「この会社では、残業時間×基本給×係数っていう形で、賞与の額を計算してる」 「これは残業代を最低賃金で支払うより遥かに低い額になるんだけど、残業代の変わりが賞与って考えでこうしてるらしい」 「昇給も当然、評価=残業時間なので、そこから計算してる。でも俺はお前のことを上司に推してたから、もっと昇給してると思ってた」 「裁量労働制って言っても、この会社は残業時間が長い人が評価されるようになってる。長く残業すること自体が成果」 「俺も抗議したことあるけど、成果は会社が決めるものだから、全く問題無いって言われた」

話し終えた後、先輩は繰り返し謝っていた。

私はそれから転職活動を始め、約1年後、入社から2年程度経過した時点でその会社を退職した。 その時、20人近く入社していた新人は、3人くらいしか残っていなかったと記憶している。 鬱病を発症した人も、いつからか会社に来なくなった人も数名いた。

これは、裁量労働制を利用する1つの企業の事例でしかない。 しかし、裁量労働制であっても「労働時間を成果とする」ことが可能なことを示している。

ここまで極端な会社は少ないかもしれないが、「遅くまで残ってる=頑張ってる」という感覚評価が当たり前になっている会社は少なくないだろう。

結局のところ、裁量労働制という制度そのものは、自由な働き方を保証しない運用によっては、自由な働き方を実現できる人もいるかもしれない、という程度のものでしかない。

余談だが、あれから10年以上経過し、私も部下の勤怠に対する裁量権をある程度持つようになった。 弊社は裁量労働制は採用していないが、管理対象となる社員の労働時間を8時間換算にして早めに帰らせたり、忙しい案件を終えた際には有給とは別に特別休暇を発行することが認められている。 労働者にとって有利になる処置であれば、運用上取り入れることは可能と社労士からもお墨付きをもらっている。

裁量労働制を導入しなければ自由な働き方を実現できないと思っている経営者の方は、是非、検討してみてはいかがだろうか。

超売り手市場なのだから、クソ会社に思い知らせるためにも転職して欲しい

anond.hatelabo.jp www.orangeitems.com

色々ブコメしたので自分なりの意見。

「クソ会社にいる自覚がある人は、今すぐ転職した方が良い」

それに尽きる。

SESで有る無しに関わらず、待遇が良いところは良いし悪いところは悪い。だが、近年IT業界の待遇は急激に改善されている。

十数年間、会社を転々としながらシステムエンジニアをやってきたが、今の人手不足っぷりは、私の知る限り過去に例の無いレベルになっている。

ここ数年は採用にも関わっており、リクルート、インテリジェンス、キャリアデザインセンター、エンジャパン、他にも複数の人材紹介系会社とやりとりを行なっているが、どの会社も一様に「今は本当に採用が難しくなっている」と言う。他職種でも同様の傾向はあるが、システムエンジニアは特に難しいそうだ。

それに伴って、待遇の改善合戦が広がっている。バブル期の待遇の良さと言えば、圧倒的な福利厚生や給与だが、今は少し事情が異なる。

今は「ある程度は給与も上げる(上げないと採用出来ない)」と「残業時間の短縮や、フレックスタイム制在宅ワークなどの労働環境の自由化(払えるお金には限りがある)」の掛け合わせが多い。バブル期程儲かってるわけではないが、待遇を良くしなければ応募が来ないからだ。それ程の売り手市場になっている。

と言うことで、今正に絶好の転職チャンスが到来している。

求職者側は、基本的に転職を考えたタイミングでしか求人広告を見ないため、気付きにくい面もあるかもしれない。だが、採用側は常に競合他社の求人条件を見て(見せられて)いるため、プレッシャーを感じ、都度採用条件を改善している。こんな絶好の転職チャンスに、不満だらけのクソ会社に居続ける理由は無い。

将来の戦力候補に対する採用競争も激しいため、最低限の技術力(1つ以上のプロジェクト参加経験、2年以上のプログラミング経験)を備えた人であれば、まともに転職活動すれば必ず今よりマシな会社でマシな待遇を受けることが出来る。もちろん、最低限の技術力が無い人はその限りでは無い(そういった人はエンジニア志望であって、エンジニアでは無いため)。

※尚、この状況においても氷河期世代(超ハイスペック除く)は対象外とされている。酷い。

クソ会社から転職する人が増えれば、人材が待遇の良い会社に集まり、人手の無くなったクソ会社が苦境に立たされるようになる。昔は机上の空論だったが、今はそうでは無い。良い待遇の会社がかなり増えている。

ネット上で声を上げるのも大事だが、もっと直接的な打撃を与え、且つ自分も救われる道が今はある。だが、そんな状況は、この売り手市場以外ではありえない。

もし、クソ会社に搾取や飼い殺しにされている人がいたら、是非、この機会を生かして、自分の状況を変えつつ、悪質な会社に打撃を与えて欲しい。

それは、恨みつらみを溜め込んだ自身への救済策であり、社会悪への正義でもある。

田舎のパチンコ屋のかけそば

パチンコ屋のかけそばが無性に食べたくなることがある。

何のことかわからない人もいるかと思うが、田舎のパチンコ屋には、フードコート的なものが付いている店がある。都会の店で見たことがないので、多分田舎特有なのだと思う。そのフードコート的なところでは、大抵そばとうどん、カレー、牛丼などが売られている。

ちょっと凝った店だと、ラーメンや焼肉丼、ちょっとした定食などもあったりする。しかし、そういった凝ったメニューは大抵不味く、値段もそこそこ張ることが多いので、食べた後で後悔することになる。「パチンコ屋なんて来なければよかった…」と後悔しながら、カッチカチの肉が数枚乗ってるだけの不味い焼肉定食に800円も払って更に後悔するわけだ。

そして、当然だが、定番メニューも決して美味いわけではない。うどんもそばも、カレーも、基本的には駅の立ち食いそば屋の味と大差はない。ちょっと不味くて、ちょっと高いだけだ。

しかし、そこには我らクズ野郎の怒りと絶望と希望が詰まっている。勝利を願って昼休憩で食べるカツ(勝つ)カレー。既に数万円使ってるのに、あと100円出すのを惜しんで食べる400円のかけそば。午前中出たのを良いことに、調子に乗って頼んだうどんのトッピング全部のせ。ちくわの磯部揚げはどこで食べても美味しい。

そんな中、私は質素なトッピングの、ネギだけ乗ったかけそばが無性に食べたくなることがある。

私にとって、パチンコ屋が最も楽しかったのは、最も貧しかったころだ。学生時代、乾麺のそばで毎日を凌いでいたころだ。家賃や電気代まで握りしめてパチンコ屋に向かっていたころだ。

あのころパチンコ屋で食べていたそばは間違いなく不味かった。しかし、あの不味いかけそばが無性に食べたくなることがある。

だが、もうあの味は二度と味わえないことを私は知っている。

私が求めているのは、多種多様な無職やサボリーマン達とワイワイやっていたあの雰囲気、投資金を気にしながらその場に最適なメニューを考えるあの感覚、そういったもの込みのノスタルジー満載のかけそばだからだ。

多分、私はもうあの味は二度と味わえない。

それが寂しくもあるが、嬉しくもある。

生活保護を認める理由は「自分もそうなる可能性があるから」では無い

自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからないはずだ。だからこそ生活保護を受ける人に対して、寛容でなければならない。そういった理屈を訴える人をよく目にする。

本当にそうだろうか。

未来は誰にもわからないが、将来の可能性は平等ではない。既に資産を持っている人が貧しくなる可能性は、資産を持っていない人に比べて低い。孫正義生活保護を受けることになる未来を想像する人はいないだろう。

孫正義程のレベルにならなくとも、「東京に持ち家を持っている」のと「田舎で資産価値ゼロの借地権の実家しか持っていない」のでは大違いだ。ちなみに私は後者だが、相続後、家を取り壊して土地を返さなければならないらしいので大変気が重い。いくらかかるんだろう。

前者のような金銭的強者に「自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからない」は通用しない。可能性としてゼロでは無いのかもしれないが、限りなく低い可能性を持ちだして「あなただって」と言っても理解を得られるわけがない。

また、日本の生活保護受給者が少ない要因に、個々人の信念がある。どれだけ貧しくても施しは受けないという信念を持っている人。他人に迷惑をかけるくらいなら餓死しても構わないという人。そういった人は、どれだけ貧しくなっても生活保護を申請しない。

こういった人達に「自分もいつ生活保護を受ける側に回ることになるかわからない」という理屈は意味を持たない。「自分も」というのは、「あなたにも利があるから」という説得方法だが、相手がそれに利を感じていないなら意味が無い

違いを認めるべきなのではないか。

私は、生活保護を身近なこととは捉えていない。この先、生活保護受給者には多分ならない。幸運にも、たまたまそういう境遇にいる。

生活保護を必要とする人達は、なんらかの理由でそういった境遇にいられなかった人達だ。やむを得ない事情の人もいれば、自己責任の人もいるだろう。

理由はどうあれ、彼らはお金を稼ぐことが苦手な人達だ。

彼らは、たまたまお金を稼ぐのが苦手だった。私は彼らに比べて、たまたまお金を稼ぐのが得意だった。ただそれだけのことだ。無理に同じ立場を想定する必要は無い。

今の世の中は、お金が無ければ生きていくことは難しい。生活保護を認めないのであれば、お金を稼ぐのが苦手な人は生きていくのが難しくなる。ある特定条件における弱者が、生存権を脅かされることになる。

私は多分、この先も生活保護を受けることは無い。だが、ある特定条件において弱者になっただけの人にも、出来れば生きていてほしいと思っている。だから、自分には関係ないが生活保護を認めている。

もっと言えば、お金を稼ぐ能力の低い人は生存権すら認められない国になってもらっては困るとも考えている。命すらままならないと知れば、いくら大人しい国民性とは言え、そういった人たちも黙ってはいないだろう。死ぬのと犯罪者になるの2択であれば、犯罪者を選ぶ人の方が多いだろう。

仮に生活保護が無くなったとしても、私はそういった2択には参加しないで済むだろう。

だが、そんな2択には誰も参加しないで済む世の中の方が良いのではないだろうか。

自称攻略Wikiが作られる理由

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ゲーム攻略Wiki実際に作ったことがあるのでちょっと解説してみる。 なお、元SEO業者側の人間です。

自称攻略Wikiの作り方

まずは作り方から。 作り方を知ると、何で作る人が多いか理由がわかる。

1.ゲームタイトル発表と同時にサイトを制作する

「パズドラ」という単語を、パズドラが発売される前から知っていた人はいるだろうか。 オリジナルのゲームを作っていて、「たまたまタイトルが被っていた」みたいな人が存在しないとは言い切れないが、ほとんどの人は「パズドラ」という単語を知らなかったはずだ。

つまり、パズドラリリース前から、「パズドラ」というキーワードでインターネット検索を行う人はほとんど存在しなかったと言える。 もちろん、「パズドラ」という単語を知らない以上、パズドラのサイトを作っている人もその段階ではいない。

世の中にゲームタイトルが周知されると、そのキーワードで検索を行う人が発生する。 その際、対象のキーワードにマッチするサイトが存在していれば、そのサイトがどれだけ出来の悪いサイトであっても、検索者の意図(この場合は「パズドラを知りたい」と言う意図)に沿っていると判定されるため、検索上位にそのサイトが表示されることになる。

ゲームタイトル発表のタイミングは、ゲームタイトルが世間に知れ渡る最初のタイミング。 その瞬間に対象キーワードを中心としたサイトを作っておけば、中身がどうだろうと検索上位に表示されるのは確実だ。

ということで、攻略Wikiのサイト制作は、ゲームが発売される前の段階で行う

リリース前のスマホゲーなどのタイトルで検索をかけると、大体5~20個くらいの攻略Wiki(中身ほぼ空)がヒットするという事態が生じるのは、これが理由。

2.どうでも良い情報でサイトを埋められるだけ埋める

攻略Wikiは、SEOの都合上、ゲームが発売する前に作られる。 そのため、必然的に、サイトを作ったは良いが中身は空ということになる。

昔は、発売前まではその状態で待機して、発売したら一気にやり込んで情報を載せていくというのが主流だった。しかし、今は大量の業者が入り込んでいるため、そんなことをしていたらあっという間に順位が下がっていくことになる。そこで、誰の役にも立たない、どうでも良い情報でサイトを埋めていくという作業が発生する。

まず、プレスリリースとか、ファミ通がやっている体験レポートとかを拾って、そこにリンクを貼りつつ、ちょっとコメントを入れるだけ、みたいな作業を行う。実際のゲーム画面が拾えたら、そこから推測できる操作説明を書いたり、ゲームシステムの予想を無理やり書いたりする。

情報が無い段階でサイトを充実させる必要があるため、こういう無駄な作業が発生する。

最近の攻略Wikiまとめサイトみたいになっているのは、それが理由。

3.リリースされたらマニュアルを作成する

大抵のゲームには操作説明マニュアルがついているのだが、攻略Wikiにも同じものをひたすら書く。

パズドラだったら「魔法石の買い方!」とか、そんなのWikiで確認するやついるのか...と思えることも頑張って書く。 スクショ、画像加工、解説文、をひたすら頑張る。

スマホゲーには大抵スタミナ的なモノがあるので、それも消化しながら(少しでもゲームを進めながら)マニュアルを作って行く。

4.攻略情報を入れる

ここからは意味のある作業。発売したてのゲームをちゃんと攻略し、どんどん攻略情報を入れていく。カードゲーム系なら、カードのリストも作って入れていく。

やっと意味のある作業が始まったところだが、ここから業者のパクリ合戦が開始される

サイトAが何か情報を上げれば、サイトBがそれをパクリ、サイトCが...というパクリの無限連鎖がスタートする。 真面目にやっていた運営者は馬鹿らしくなって更新を辞め、最初からパクリ目的の業者はパクリ先が潰えた結果、情報が更新されなくなる

Wiki集合知という考え方もあるが、Wikiの管理権限を公開すると、ほぼ確実に競合の業者に妨害される。 そのため、今はWikiという形を取ってはいるものの、運営者が一人で更新していくWikiも珍しくなくなっている。

権限を細かく分け、禁止ワードや監視を徹底し、上手に管理権限を公開して運営している人もいないわけではない。 しかし、業者は会社命令でパクリも妨害も業務として行っているため、個人で立ち向かうのは中々難しい状況にある。

儲かる仕組み

「パズドラ」で完全一致検索をした場合、ヒットするページの件数は 21,300,000件。 「はてなファイターズ」で完全一致検索をした場合、ヒットするページの件数は 1件。

新しい単語(新しいゲームタイトルはこれに当たる)には、ライバルサイトがほとんど存在しない。 そのため、既存のキーワードでSEOを行うよりも、遥かに容易に検索上位を狙うことが出来る。

その上、リリース後は検索ボリュームが激増することが約束されている。 検索ボリュームがあるキーワードで、検索上位が取れたら儲かるのは当たり前。

更に、いまだに「Wiki=複数名で作り上げる有志の情報ソース」と思い込んでいる人も多く、「攻略 Wiki」と言う単語に根強い人気があるため、「新単語(ゲームタイトル)+ 攻略 + Wiki」の期待値はかなり高い。

こういった理由で、攻略Wiki作りには根強い人気がある。

流行った理由、業者が参戦した理由

スマホゲーの大量リリースが原因。

新しい単語(ゲームタイトル)が多く発表されるようになったこと、スマホゲーには課金が存在するため、「魔法石を増やす裏ワザ!」みたいなのでゲン玉(ポイントサイト)とかに誘導すると儲けやすいこと、などが主な理由。 また、ユーザーがゲーマーではないため、広告のクリック率がコンシューマーより高く儲けやすい。

SEOが難しくなったことも理由の一つ。 まともな手法を持っていないWeb系の会社が、やろうと思えば誰でも出来る確実な手法に飛びついた。

攻略Wikiはどうなっていくのか

儲かる仕組みが存在してしまっている以上、業者がそこから手を引く理由はない。 また、レッドオーシャン状態にあるため、かなりダーティーな方法を取る業者が生き残りやすい状態にある。

業者の手法はいくつかあるが、パクリ前提(コストをかけたくないので、自分ではやらない)のところが多く、パクリ元が誕生しなかった場合は、そのまま放棄されるケースが増えている。 結果、まともなWikiがゼロというゲームも多い。

ただ、これは業者だけが理由なのではなく、過度な嫌儲の人達が自ら破壊したという側面もある。 冒頭にリンクを貼った元記事で最後に紹介されていたアズールレーン攻略Wikiだが

こちらの『アズールレーンwiki』のように、昔の雰囲気っぽい攻略wikiが盛り返して検索順位でもトップを奪還することもあるんですけどね。

と書かれているが、こういった「多少の広告を貼っている攻略Wiki」が盛大に荒らされた時期もあった。 そういった、「収益を得ているのであれば、全てを破壊しなければ気が済まない」という人がいる限り、以前の攻略Wiki文化復活は難しいのではないかと思える。 無報酬で荒らしや罵倒、催促コメントに日々対応し続けるなんて、正気の沙汰では無い。

しかしこのWiki、広告とPVを見る限り、非常に潤っていることが予測されるので、羨ましい限りである。

都会と田舎の賃金格差は不当なのだろうか

私は田舎出身だ。

夜になれば街灯の少ない道は足元も見えなくなり、夏~秋は虫の鳴き声が激しすぎて耳が痛くなる。友人の家に行くのにバスを利用するのは普通のことで、最終バスは17時台だ。そんな田舎で、私は生まれ育った。

中学生まではその生活で何の問題もなかったが、高校生になると多少はお金が必要になってきた。服を買うでもない、娯楽施設に出かけるわけでもない。しかし、通学時間が延び、部活に顔を出す必要も生じたため、結果、帰宅が遅くなり、買い食いなどの機会が増えた。

そこでアルバイトを始めた。私のアルバイト経験は、今世間で言われているような「田舎は大変」とは程遠いものだった。

田舎の仕事事情は、表では「仕事が無い」「低賃金」という側面にフォーカスされがちだ。それはその通り、事実と言える。しかし、田舎の仕事事情は、そんな負の側面だけで構成されているわけではない。

仕事が楽なのだ。

当たり前だが、「仕事が無い」と言われるくらいなので、仕事がある場所であっても仕事の総量は少ない。大都市圏のように、激しい競争を繰り広げて、昼夜を問わず仕事をしている人はほとんどいない。悪い意味だけでなく、良い意味でも仕事が無い。

例えばコンビニの夜勤などは都会とは比較にならない。都会のコンビニは、いつ訪れても数名の客が居るが、田舎のコンビニは本当に客がいない。棚卸し作業などは発生するが、日によっては客が一人も訪れないことすらある。

高校卒業後、コンビニの夜勤で生計を立てていた友人は、いつもレジ横にある控室にいて、客が来た時だけ対応していたという。朝までに5人以上来ることは珍しかったので、非常に楽な仕事だったそうだ。彼はバイト中に十分な睡眠をとり(細切れだが)、朝になるとパチンコ屋に出かけていくのが日常だった。

ここで一つ疑問がある。都会と田舎の賃金格差がたびたび話題になるが、田舎の賃金が低いのは不当なのだろうか。

日本人のサービスに対する意識は過剰だ。地方であっても、都会同様のサービスを求められる。それなのに、賃金だけが安いとなれば不満が出るのは当然だろう。

また、物価も都会と田舎で大差はない。大差があるのは家賃など不動産が絡むものだけだ。競争原理の関係で都会の方が物価が安いことすらある。これで田舎の方が賃金が低いのだから、最低限の生活を営むのすら難しい人が出てくるのは、想像に難くない。

しかし、労働者が提供するサービスの総量は、都会と田舎で雲泥の差がある。1日に100人しか客の来ないコンビニと、1日に2000人の客が来るコンビニ。全く同じ賃金が支払われるとしたら、あなたはどちらで働きたいと思うだろうか。控室で十分に休憩をとりながら働ける環境と、座る間もなく働き続けなければならない環境、どちらを望むだろうか。

客が多いということはたくさんの売上を生むということでもある。たくさんの売上を生んだ人が、そうでない人とほとんど変わらない賃金しか受け取れないのは正当だろうか。

生み出した経済価値と受け取る報酬は比例すべきだ。しかし、生活に必要な予算と、その人が生み出せる経済価値は比例しない。そして、能力に関わらず経済価値を生み出しにくい土地がある。

田舎で十分な生活費を稼ぐのが難しいのは事実だ。しかし、十分な経済価値を生み出せない以上、賃金だけを上げるのが難しいのも当然だ。これは、国や自治体が対応すべき課題で、賃金で対応すべき課題ではないのではないか。

本当に賃金格差は不当なのだろうか。

単純に「田舎でも、生活に困るからもっと賃金が欲しい」という話であれば理解は出来るのだが、都会との賃金差を「不当」と捉えるのは間違っているのではないだろうか。