ふなっしーになりたかった

氷河期サバイバーの雑記

君が代斉唱不起立での再雇用見送り自体はおかしな話では無い、が

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高校で、君が代斉唱の際に起立しなかった職員が再雇用を断られ、それを不服として訴訟を起こしたものの、最高裁で負けたという話だ。

一般企業に勤める立場から見ると、この最高裁の判断自体は「まあ、そうだろうな」といった程度の感想でしかない。ただ、裁判長のコメント「当時は再雇用を希望しても全員は再雇用されなかった。起立しなかったことを重視して不合格にすることが著しく合理性を欠くとは言えない」は、なぜそんなことをわざわざ言ってしまったのか、疑問を感じる内容になっている。

まず、当時の再雇用というのはあくまでも「新たな雇用」であり、「雇用状態にある人の解雇判定」とは異なる。つまり、新しく人を雇う時と同様、審査を経るものであった。

実際に自分が面接を受けた時のことを考えてもらえればわかるが、企業は採用・不採用の理由を明確には明かさない。つまり、実質的に採用・不採用の理由は「なんでもあり」になっている。例えば、年齢制限による採用・不採用の判断は禁止されているが、「成長意欲が見られない」などの理由で不採用にすることは可能だ。

ということで「君が代で起立をしない」も、「協調性が低い」とか、「思い込みが強いところがある」など、言い方を変えれば不採用理由としては全く問題なく利用することが出来る。企業の人事であれば、こういったことは当たり前に把握しているので、不採用理由を伝えるケースがあっても(転職支援サービスの担当者に伝えなければならないことはよくある)、迂闊なことは言わないよう気を付けている。実際、特定の思想が強い人は雇用側にとってリスクになることも少なくないため、こういった伝え方で断ることがある。

しかし、今回の裁判における裁判長のコメントは「起立しなかったことを重視して不合格にすることが著しく合理性を欠くとは言えない」だ。これは完全に思想及び良心の自由に入り込んでしまっている。裁判長自身にそういった思想があるのかもしれないが、普通はこんな危険なことは言わない。

ひょっとしたら、再雇用の判定を行う東京都自体が「再雇用を見送った理由は、あなたが君が代斉唱の際に起立しなかったからです」のような、新卒人事以下の伝え方をしてしまっていたのかもしれない。裁判でそれが明確になってしまっていたため、思想的に何としても原告を敗訴させたい裁判長が苦しい判断を行ってしまったのかもしれない。

個人的には、君が代斉唱不起立での再雇用見送り自体はおかしな話では無いと思う。前述したように、当時は全員再雇用のような制度ではなく、且つ、該当者にリスクとなる資質を持ち合わせている可能性があり、お上に逆らわない事なかれ主義が公務員の性質だからだ。実際扱いにくいのだろう。何とか理由をつけて排除したいのはわからなくもない。

だが、「君が代斉唱中に起立をしなかったから」を明確に理由にしてしまった時点で、この結果は厳しいのではないかと思う。どうしても排除したかったのであれば、もっと上手く、あくまでも総合的な理由での対応とすべきだっただろう。結果的に、思想及び良心の自由を制限するような職務命令に正当性があるという判例になってしまったというのは、軽い話では無い。

「年齢相応」の考えがある限り、氷河期世代が報われることはもう無い

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言っていることには同意できる部分も多いのだが、若いからか「もう氷河期世代には逆転のチャンスがほとんどない」という問題について、あまり理解が無いようにも見えた。

氷河期世代とは、1993年から2005年に就職した人たちを指す言葉だ。

新卒での就職タイミングが人それぞれ異なるため、だいたい35~45歳前後の人が当てはまると考えれば良いだろう。留年や浪人を考えれば、50歳でも就職氷河期に含まれる人もいるかもしれない。もう十分に「大人」であり「経験豊富」な人たちである。

日本では「年齢相応」という考え方が根強い。「20歳を超えたらこれくらいの分別は~」「30歳にもなって常識が~」など、年齢と合わせて苦言を受けた経験のある人も多いだろう。「いい年して」もその一種だ。外国のことはよく知らないが、少なくとも日本では「年齢に応じて、能力の向上や精神的な強さを身に着けるのが当たり前」という考えが一般化されている。

これは就職現場にも当てはまる。

日本企業では「〇〇歳なら、このくらいの経験が欲しい」といった見方で、候補者を見ることが多い。例えば、私のいるIT業界なら「20代後半までなら、3年以上の開発経験があればOK」とか、「30代ならチームリーダー経験が欲しい」とか「40代ならプロマネ経験が欲しい」とかだ。もちろん、これは企業ごとに考え方も求める人材も異なるため、一律ではない。ただ、年齢が上がれば上がるほど、自己学習ではどうにもならない経験を求められるようになる傾向が強い。

人によっては、これは当たり前のことに見えるかもしれない。高校や大学を卒業し、新卒で企業に就職し、数年働いて部下を持ち、リーダーとして経験を積み、より大きなプロジェクトに所属するようになり、プロジェクトを率いるマネージャーになる。ごくごく自然な日本企業的成長ストーリーと言えるだろう。しかし、これが当たり前でない人が今は沢山いる。

1986年に施行された労働者派遣法により、限定的ではあるが派遣社員が登場した。1996年に対象業務が拡大され、1999年には対象業務が原則自由化された。さらに、2000年には紹介予定派遣が解禁され、その後も派遣期間の延長や、派遣可能業務の拡大が続いていった。

好景気であれば、派遣社員もそんなに悪いものではなかったのかもしれない。会社に縛られずに働きたい人が、自ら選択する就業形態として選ぶというケースも実際多かっただろう。しかし、1991年のバブル崩壊以降、日本は失われた20年と呼ばれる、長期間の景気低迷に陥ってしまった。

氷河期世代と呼ばれる1993~2005年に就職した人たちは、その被害をまともに受けてしまった。バブル崩壊で業績が悪化した企業が、人件費抑制のために派遣社員を利用し、行政もそれを後押しするように次々に派遣の規制を緩めていった。結果、今では労働者の37.3%を非正規が占めるようになってしまった。

非正規労働者の厳しい点は、給与の低さや福利厚生の貧弱さもあるが、それ以上に成長機会が少ない点にある。ある程度の期間働いたことがある人なら知っていると思うが、非正規労働者に回ってくる仕事というのは、ルーチンワークと雑務が主だ。例外的に、社員ができない仕事を押し付けられるというケースもあるが、レアケースであり、責任を押し付けるためのスケープゴートであったりもする。

そして、さらに厳しいのは経験した職務内容に関わらず、就業形態が非正規雇用というだけで、社会的評価が低くなるという点だ。

一般的に、人事が職務経歴書を見る場合、非正規雇用での経験はおまけ程度の扱いとしてしか見ない。コネ入社の正社員(役職者)で仕事はほとんどせずに寝ているだけの人と、非正規雇用で実質的な現場責任者を比べた場合、書類上の評価が高いのは圧倒的に前者だ。

ということで、すでに40歳前後の年齢となり「年齢相応」で求められる経験がかなり高度なものとなっており、且つ就職難で非正規雇用を選ばざるを得なかった人は、雇われという立場で報われるのはかなり厳しい状況にある。かと言って、低収入で蓄えを作るのが難しく、コネも作りにくいのが非正規雇用という立場だ。起業して上手くいく可能性も低いだろう。

普通、こういった記事では、最後に救済案や「こうすれば上手く行く」みたいな話を書くのがセオリーなのだが、残念ながら、私にはそのアイデアはない。強いて言えば「若い人が敬遠する仕事であれば、需要はある」くらいだ。

「年齢相応」の考えは雇う側だけでなく、雇われる側にもある。雇われる側が「年齢相応」の待遇を望まず、新卒レベルの待遇を受け入れるのであれば、人によってはチャンスもあるのかもしれない。あまり夢のある話では無いが。

会社を選ぶ際は、役員の前職に注目すべし

転職の際、「出来るだけ自分にあった会社を選びたい」と思うのは当然のことだ。

求職者は、業務内容、組織体制、社風、その会社が扱っているサービスの内容、規模など、様々な要素を見て、自分にあった会社を探している。しかし、求人広告におけるこれらの内容は、規模を除いてあまりあてにならないことが多い。

業務内容が入社後に変化するのは当たり前。社風なんていくらでも嘘が書ける。サービスの内容はパッと見が良さそうなものだけを掲載しておき、入社後に担当することになるサービスは全然別物というのもよくある話だ。

とはいえ、何の情報もなしに会社を選ぶのは難しい。誰でも知ってる有名企業ならともかく、中小企業が何をやっているかなんて誰も知らない。そこで、私がいつも参考にしている、会社の雰囲気をつかむのに役に立つ情報をお伝えする。

それは、経営者(役員)の経歴だ。

会社には必ず経営者がいる。会社は、本質的には経営者の夢をかなえるための場所だ。ルールも、重視するものも、全て経営者が決める。「従業員がルールを作る」みたいな会社もあるが、経営者の意思に反するルールは作れない。

つまり、社風には必ず経営者の思想が反映される。そんな経営者が、「今まで何をやっていた人なのか」を見れば、その人の考え方がある程度見えてくる。

人の考え方は今までの経験に大きく左右される。

営業経験の長い人であれば、重視するのはもちろん売上だ。売上を重視しない経営者はあまりいないが、商品開発などの経験が長い経営者は、売上よりも会社の技術力や製品の品質を優先する傾向がある。コンサル出身では、人を説き伏せるような能力を重視する人に多く出会っている。

全て最終的には売上、利益といったかたちに集約されるのだが、そのために何が必要と考えるのかは、人それぞれということだ。何でも無理矢理売ればいいと思ってる人もいれば、良いものを作れば売れると思っている人もいるだろう。実際にはそこまで単純なわけではないが、考え方の根底を支えるものは存在する。

人それぞれではあるが、人は自分の過去を肯定し、美化する傾向がある。経営者になるような人の多くは、過去になんらかの成功体験を持っていることが多い。その成功体験が、自身の経営哲学に繋がるのは当たり前だ。

では、それをどうやって利用するか。

大雑把に言えば、自分と似たような職種を経験してきた経営者が運営する会社であれば、自分の職種が重要視される可能性は高い。現場をよく知っているだけに、自分の望む社風を伴っている可能性も高いだろう。

しかし、その分だけ厳しい目で見られる可能性も高い。他職種より難易度の高いことを要求され、出来なければ「使えない」と思われるだろう。

もっと細かい話もあるが、それは別の機会に。

私自身転職を多く経験しているため、様々な経歴を持つ経営者の元で働いて来たが、驚くほど経営者は前職の経験を引きずっている。

自分の職種に詳しい経営者の元で働けば、重要視はされるが、要求は厳しくなる。逆に、自分の職種のことを全く知らない経営者の元で働けば、適当な扱いを受ける代わりに、仕事が出来なくてもバレなかったりする。制度は重要視される職種を中心に作られる。

自分の今のレベルに合わせて、経営者の経歴を見ながら面接を受けて見て欲しい。予想以上の成果、気づきが得られるはずだ。

なお、複数の役員を抱える会社で、自分と同職種出身の役員がいない会社は避けた方が無難だ。その職種では「出世出来ない=扱いが悪い」ケースが少なくないからだ。

残業時間で成果を測る裁量労働制の会社に所属していました

この辺の記事がちょっと気になったので書きました。 裁量労働制は、時間からの解放を意味しないという実例です。

bonotake.hatenablog.com news.tbs.co.jp

10年以上前のこと。

私が新卒で入社した会社は、入社初日から、全社員が裁量労働制で働く契約になっていた。

当時は、裁量労働制について、政府や経団連が言っているような「時間にとらわれない自由な働き方」というイメージが少なからずあったため、私自身もそれを望んでいた。 「就業経験が全くない新人に裁量?」と疑問も浮かんだが、「すぐに裁量を手に入れ、大きな成果を上げ、高い報酬を受け取れるだろう」という謎の自信がその疑問を打ち消した。

入社後、新人は4人1組のチームに分けられ、電話番をしながら独学でプログラムを学ぶという業務が与えられた。 「電話は必ず1コールで取る」との指示があり、それを達成するために、席を立つ際は必ず報告する義務があった。 9時から朝礼、電話番のため19時までは着席必須、トイレに行くのにも許可がいるという環境で、裁量は全くなかった。

数か月後、電話番の仕事がようやく終わり、プロジェクトに配属されることになった。 プロジェクトの内容は、商品のベースとなるシステムの改修。4人1組で半年~1年かけてシステムを改修するという業務だった。

「ようやくプログラムが書ける」と最初はチームメンバー全員で喜んでいたが、開始して約3か月が経過した時点で異変が起きた。 あるメンバーだけ、全く進捗が無くなってしまったのだ。

最初は適性の問題を疑った。元々遅れが目立つメンバーでもあったため、タスクの難易度が上がって来たことで、彼だけ停滞してしまっているのかと思っていた。 私は彼と仲が良かったため、「わからない所があったら相談して」と毎日のように言っていたが、彼は「ありがとう」というだけで、全く相談をしてこなかった。

それから数日後、一緒に昼食を食べている時、彼から衝撃の告白を受けた。

「俺、全く仕事してないけど、毎日24時過ぎまで残ってるんだ」 「ネットサーフィンで何とか時間つぶしてるけど、20時過ぎたら監視が緩くなるからトイレでゲームとかやってる」 「真面目に仕事やっても意味ないからサボった方が良いよ、先輩から査定のルール聞いたんだけど、残業時間が長い人が評価される仕組みなんだってさ」

何を馬鹿なことを、と思いながらも、思い当たるふしはあった。 彼の進捗があまりに遅いため、上司に相談した際「あいつは遅くまで毎日頑張ってるから許してやれ、あいつを見習ってお前ももっと仕事したらどうだ」と言われたことがあったからだ。

成果主義を強くうたう会社であり、裁量労働制も「成果以外見ないからこその制度」と断言する会社でそんなことがあるだろうか? 疑問は感じたが、「真面目に仕事をすれば、結果は返ってくる」と信じ、サボる彼を置いてタスクをこなすことに集中することにした。

それから約半年が過ぎ、私は新人賞を取った。 新人賞とは、毎年20名前後入る新人の中で、2,3名が投票によって選ばれる賞のことだ。 「自分は正当に評価されている、これなら大丈夫」と少し安心したことを覚えている。

しかし、入社から1年が経過した時点で、私が間違っていたことを理解した。 サボっていた彼の昇給、賞与額は、私を上回っていた。 私に明細を見せながら、彼は「な、本当だったろ」と得意げに言っていた。

彼は1年間、本当に何もしなかった。他のメンバーが100件以上のタスクをこなす中、彼がこなしたタスクは10件にも満たなかった。だが、彼は評価されていた。

私は、社内に2人、尊敬している先輩がいた。上司は信用ならないが、先輩ならきっと答えてくれるはず。そう考え、先輩にこのことを打ち明けてみた。 先輩の答えは、想像を絶するものだった。

「これ、本当は教えちゃいけないんだけど教えるよ」 「この会社では、残業時間×基本給×係数っていう形で、賞与の額を計算してる」 「これは残業代を最低賃金で支払うより遥かに低い額になるんだけど、残業代の変わりが賞与って考えでこうしてるらしい」 「昇給も当然、評価=残業時間なので、そこから計算してる。でも俺はお前のことを上司に推してたから、もっと昇給してると思ってた」 「裁量労働制って言っても、この会社は残業時間が長い人が評価されるようになってる。長く残業すること自体が成果」 「俺も抗議したことあるけど、成果は会社が決めるものだから、全く問題無いって言われた」

話し終えた後、先輩は繰り返し謝っていた。

私はそれから転職活動を始め、約1年後、入社から2年程度経過した時点でその会社を退職した。 その時、20人近く入社していた新人は、3人くらいしか残っていなかったと記憶している。 鬱病を発症した人も、いつからか会社に来なくなった人も数名いた。

これは、裁量労働制を利用する1つの企業の事例でしかない。 しかし、裁量労働制であっても「労働時間を成果とする」ことが可能なことを示している。

ここまで極端な会社は少ないかもしれないが、「遅くまで残ってる=頑張ってる」という感覚評価が当たり前になっている会社は少なくないだろう。

結局のところ、裁量労働制という制度そのものは、自由な働き方を保証しない運用によっては、自由な働き方を実現できる人もいるかもしれない、という程度のものでしかない。

余談だが、あれから10年以上経過し、私も部下の勤怠に対する裁量権をある程度持つようになった。 弊社は裁量労働制は採用していないが、管理対象となる社員の労働時間を8時間換算にして早めに帰らせたり、忙しい案件を終えた際には有給とは別に特別休暇を発行することが認められている。 労働者にとって有利になる処置であれば、運用上取り入れることは可能と社労士からもお墨付きをもらっている。

裁量労働制を導入しなければ自由な働き方を実現できないと思っている経営者の方は、是非、検討してみてはいかがだろうか。

超売り手市場なのだから、クソ会社に思い知らせるためにも転職して欲しい

anond.hatelabo.jp www.orangeitems.com

色々ブコメしたので自分なりの意見。

「クソ会社にいる自覚がある人は、今すぐ転職した方が良い」

それに尽きる。

SESで有る無しに関わらず、待遇が良いところは良いし悪いところは悪い。だが、近年IT業界の待遇は急激に改善されている。

十数年間、会社を転々としながらシステムエンジニアをやってきたが、今の人手不足っぷりは、私の知る限り過去に例の無いレベルになっている。

ここ数年は採用にも関わっており、リクルート、インテリジェンス、キャリアデザインセンター、エンジャパン、他にも複数の人材紹介系会社とやりとりを行なっているが、どの会社も一様に「今は本当に採用が難しくなっている」と言う。他職種でも同様の傾向はあるが、システムエンジニアは特に難しいそうだ。

それに伴って、待遇の改善合戦が広がっている。バブル期の待遇の良さと言えば、圧倒的な福利厚生や給与だが、今は少し事情が異なる。

今は「ある程度は給与も上げる(上げないと採用出来ない)」と「残業時間の短縮や、フレックスタイム制在宅ワークなどの労働環境の自由化(払えるお金には限りがある)」の掛け合わせが多い。バブル期程儲かってるわけではないが、待遇を良くしなければ応募が来ないからだ。それ程の売り手市場になっている。

と言うことで、今正に絶好の転職チャンスが到来している。

求職者側は、基本的に転職を考えたタイミングでしか求人広告を見ないため、気付きにくい面もあるかもしれない。だが、採用側は常に競合他社の求人条件を見て(見せられて)いるため、プレッシャーを感じ、都度採用条件を改善している。こんな絶好の転職チャンスに、不満だらけのクソ会社に居続ける理由は無い。

将来の戦力候補に対する採用競争も激しいため、最低限の技術力(1つ以上のプロジェクト参加経験、2年以上のプログラミング経験)を備えた人であれば、まともに転職活動すれば必ず今よりマシな会社でマシな待遇を受けることが出来る。もちろん、最低限の技術力が無い人はその限りでは無い(そういった人はエンジニア志望であって、エンジニアでは無いため)。

※尚、この状況においても氷河期世代(超ハイスペック除く)は対象外とされている。酷い。

クソ会社から転職する人が増えれば、人材が待遇の良い会社に集まり、人手の無くなったクソ会社が苦境に立たされるようになる。昔は机上の空論だったが、今はそうでは無い。良い待遇の会社がかなり増えている。

ネット上で声を上げるのも大事だが、もっと直接的な打撃を与え、且つ自分も救われる道が今はある。だが、そんな状況は、この売り手市場以外ではありえない。

もし、クソ会社に搾取や飼い殺しにされている人がいたら、是非、この機会を生かして、自分の状況を変えつつ、悪質な会社に打撃を与えて欲しい。

それは、恨みつらみを溜め込んだ自身への救済策であり、社会悪への正義でもある。

田舎のパチンコ屋のかけそば

パチンコ屋のかけそばが無性に食べたくなることがある。

何のことかわからない人もいるかと思うが、田舎のパチンコ屋には、フードコート的なものが付いている店がある。都会の店で見たことがないので、多分田舎特有なのだと思う。そのフードコート的なところでは、大抵そばとうどん、カレー、牛丼などが売られている。

ちょっと凝った店だと、ラーメンや焼肉丼、ちょっとした定食などもあったりする。しかし、そういった凝ったメニューは大抵不味く、値段もそこそこ張ることが多いので、食べた後で後悔することになる。「パチンコ屋なんて来なければよかった…」と後悔しながら、カッチカチの肉が数枚乗ってるだけの不味い焼肉定食に800円も払って更に後悔するわけだ。

そして、当然だが、定番メニューも決して美味いわけではない。うどんもそばも、カレーも、基本的には駅の立ち食いそば屋の味と大差はない。ちょっと不味くて、ちょっと高いだけだ。

しかし、そこには我らクズ野郎の怒りと絶望と希望が詰まっている。勝利を願って昼休憩で食べるカツ(勝つ)カレー。既に数万円使ってるのに、あと100円出すのを惜しんで食べる400円のかけそば。午前中出たのを良いことに、調子に乗って頼んだうどんのトッピング全部のせ。ちくわの磯部揚げはどこで食べても美味しい。

そんな中、私は質素なトッピングの、ネギだけ乗ったかけそばが無性に食べたくなることがある。

私にとって、パチンコ屋が最も楽しかったのは、最も貧しかったころだ。学生時代、乾麺のそばで毎日を凌いでいたころだ。家賃や電気代まで握りしめてパチンコ屋に向かっていたころだ。

あのころパチンコ屋で食べていたそばは間違いなく不味かった。しかし、あの不味いかけそばが無性に食べたくなることがある。

だが、もうあの味は二度と味わえないことを私は知っている。

私が求めているのは、多種多様な無職やサボリーマン達とワイワイやっていたあの雰囲気、投資金を気にしながらその場に最適なメニューを考えるあの感覚、そういったもの込みのノスタルジー満載のかけそばだからだ。

多分、私はもうあの味は二度と味わえない。

それが寂しくもあるが、嬉しくもある。

生活保護を認める理由は「自分もそうなる可能性があるから」では無い

自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからないはずだ。だからこそ生活保護を受ける人に対して、寛容でなければならない。そういった理屈を訴える人をよく目にする。

本当にそうだろうか。

未来は誰にもわからないが、将来の可能性は平等ではない。既に資産を持っている人が貧しくなる可能性は、資産を持っていない人に比べて低い。孫正義生活保護を受けることになる未来を想像する人はいないだろう。

孫正義程のレベルにならなくとも、「東京に持ち家を持っている」のと「田舎で資産価値ゼロの借地権の実家しか持っていない」のでは大違いだ。ちなみに私は後者だが、相続後、家を取り壊して土地を返さなければならないらしいので大変気が重い。いくらかかるんだろう。

前者のような金銭的強者に「自分もいつ生活保護を受ける側にまわるかわからない」は通用しない。可能性としてゼロでは無いのかもしれないが、限りなく低い可能性を持ちだして「あなただって」と言っても理解を得られるわけがない。

また、日本の生活保護受給者が少ない要因に、個々人の信念がある。どれだけ貧しくても施しは受けないという信念を持っている人。他人に迷惑をかけるくらいなら餓死しても構わないという人。そういった人は、どれだけ貧しくなっても生活保護を申請しない。

こういった人達に「自分もいつ生活保護を受ける側に回ることになるかわからない」という理屈は意味を持たない。「自分も」というのは、「あなたにも利があるから」という説得方法だが、相手がそれに利を感じていないなら意味が無い

違いを認めるべきなのではないか。

私は、生活保護を身近なこととは捉えていない。この先、生活保護受給者には多分ならない。幸運にも、たまたまそういう境遇にいる。

生活保護を必要とする人達は、なんらかの理由でそういった境遇にいられなかった人達だ。やむを得ない事情の人もいれば、自己責任の人もいるだろう。

理由はどうあれ、彼らはお金を稼ぐことが苦手な人達だ。

彼らは、たまたまお金を稼ぐのが苦手だった。私は彼らに比べて、たまたまお金を稼ぐのが得意だった。ただそれだけのことだ。無理に同じ立場を想定する必要は無い。

今の世の中は、お金が無ければ生きていくことは難しい。生活保護を認めないのであれば、お金を稼ぐのが苦手な人は生きていくのが難しくなる。ある特定条件における弱者が、生存権を脅かされることになる。

私は多分、この先も生活保護を受けることは無い。だが、ある特定条件において弱者になっただけの人にも、出来れば生きていてほしいと思っている。だから、自分には関係ないが生活保護を認めている。

もっと言えば、お金を稼ぐ能力の低い人は生存権すら認められない国になってもらっては困るとも考えている。命すらままならないと知れば、いくら大人しい国民性とは言え、そういった人たちも黙ってはいないだろう。死ぬのと犯罪者になるの2択であれば、犯罪者を選ぶ人の方が多いだろう。

仮に生活保護が無くなったとしても、私はそういった2択には参加しないで済むだろう。

だが、そんな2択には誰も参加しないで済む世の中の方が良いのではないだろうか。